秦氏の秦河勝が建てた仏教寺院の一つである秦楽寺 大和北部八十八ヶ所霊場 【第84番】です
唐風の門に惹かれて拝観してきました。現存の門は土蔵門なので、江戸時代以降の築造かと思われますが、その様式は秦氏の寺として建てられた歴史を感じるに充分でした。

飛鳥時代の始まりに秦楽寺(647年、大化3年)を建立したのは秦河勝で、京都の広隆寺(603年、または622年)と同じです。大化の改新が645年に始まって3年目でした。寺の名前は「秦楽とは秦の楽人である」(門前にある寺の説明板の文面)という意味があり、特に雅楽や猿楽(物真似などの滑稽な芸)に優れた秦氏が多く住む地域であったようです。京都の広隆寺が秦氏の族長で秦造だった秦河勝の氏寺で、弥勒菩薩が本尊として祀られたのに対し、こちらの秦楽寺では聖徳太子が秦河勝に預けた観音像が元々の本尊で、平安時代に千手観世音菩薩立像となったとのこと。この地域には多くの秦氏、秦人が集まって在住していました。こちらの寺院の本尊が観音、千手観音であることは、なるほどと理解できる気がしますが、どうでしょうか。千の手と千の眼を持つ千手観音は、苦しみを抱えるあらゆる衆生を救済する慈悲と広大な力を持つとされます。現世的なご利益が非常にわかりやすいです。弥勒菩薩が「未来仏」と言われても、現世におけるご利益は感じにくい。大乗仏教にとっては釈迦如来の後継とされ、非常に重要な菩薩さまなのですが。
秦楽寺を中心として秦楽寺城(築年不明)があったようで、「秦楽寺遺跡」の地図を見ると、現在の寺院の敷地より広大な面積を誇っていました。また、現在の本殿はもともとは護摩殿であって、本来の本殿は現存しないようです(一般社団法人田原本まちづくり観光振興機構のサイト情報)。せめて最盛期の秦楽寺を描いた絵画や外観についての著述が残っていないものでしょうか?現在は土蔵門ですが、元々は広隆寺のように楼門が入り口だったのではないか等、色々想像してしまいます。往年の寺の姿が確かめられないようで残念です。
寺院周辺の秦楽寺遺跡からは発掘調査では勾玉など玉類が見つかっていて、工房があったということです。音楽、踊り、玉の製品づくり。現代の創造芸術 (Creative arts)の拠点のようですね。
ところで聖天さまの御堂が本堂に向かって左隣にありました。聖天堂の前に来ると凛とした空気を感じます。奈良県では生駒聖天こと生駒山 寳山寺(宝山寺、ほうざんじ)しか知らなかったので驚きがあり。ただ、いつから秦楽寺に祀られているのかなどの情報は掲示されていないと思います。
音楽と舞の劇も行われた
明日香村を拠点に全国で演奏活動をされているというピアニスト・渡会光晴さんのSNS投稿によると、2022年5月7日(土) に秦楽寺で劇がありました。他の寺院でも演奏されることがあるようです。今後の活動に興味がある方は最新の情報を要チェックです!
「弥勒夢幻 聖徳太子と秦河勝にまつわる言舞劇」
舞・語り:はたりえ |笙:田島和枝 |ピアノ:渡会光晴