【小学生】宮城県蔵王町で小学生の少年が出家!

宮城県の刈田郡蔵王町に1530年(享禄3年)建立された高田山 保昌寺(曹洞宗)の住職・水澤 智孝さんの10歳のご子息が出家。小学生での出家は珍しいからか、全国ニュースに。当時まだ10歳ですが、剃髪後は決意を感じる表情。

保昌寺は伊達家家臣の高野家の菩提寺として建立された、500年近い歴史がある仏寺。

以下は日本テレビの2023年8月のニュース動画です。


以下は日本テレビによる10月配信のニュース動画


高田山 保昌寺
本尊:拈華釈迦如来像 享保5年(1720年)京の仏師丹解作
住職:水澤 智孝
住所:〒989-0831 宮城県刈田郡蔵王町大字平沢字諏訪舘28-1
連絡先:曹洞宗宗務庁 公式サイトで見る
備考:仙台市から蔵王町へは車で40分から50分程度
丈六阿弥陀如来座像は宮城県重要文化財指定で、欅材寄木造の丈六仏、平安時代末作とのこと。*保昌寺ホームページの情報です。

蔵王権現
保昌寺の住所が蔵王町となっているが、町は蔵王山(蔵王連峰)の近所に存在する。
蔵王連峰では、平安時代の後期に奈良・吉野の修験道が広まり、金剛蔵王権現が山頂で祀られた。古くは刈田嶺、不忘山(わすれずのやま)などと呼ばれた山並みは、その頃に蔵王山(*単体の山ではない)と呼ばれるように。近代になり、明治政府の神仏分離令で蔵王大権現が蔵王大神となり、社号も水分神社に変更。再度の社号変更で現在の刈田嶺神社(奥宮)になりました。明治時代から蔵王山を挟んだ宮城、山形の両側の地域で蔵王権現を祀っていた寺院や社は神社になったようです。現在も蔵王の名前がついた地名(蔵王町(昭和30年に合併して誕生)、蔵王温泉など)が存在していて修験道、蔵王権現信仰の長い歴史を感じられます。

現代の宮城県で全国的に有名な慈眼寺(仙台市太白区秋保)では本尊が蔵王権現。住職・塩沼亮潤さんは奈良県吉野の修験道の寺院、金峯山寺(金峯山修験本宗)で修行をされ、金峯山史上2人目の千日回峰行を成し遂げた大峯千日回峰行者(大行満大阿闍梨)。奈良の吉野を拠点にされていただけに、関西方面でも知られる存在です。2003年、慈眼寺を建立、開山して住職に。蔵王山では明治時代に神仏分離で正式には消えた修験道の寺院ですが、同じ宮城県で21世紀になって改めて建立されていました。

福聚山 慈眼寺
本尊:蔵王大権現
住職:塩沼 亮潤
住所:〒982-0244 宮城県仙台市太白区秋保町馬場字滝原89-2
公式サイト:https://www.jigenji-sendai.com/
備考:ホームページやSNS、動画チャンネルで情報を発信されています。

総本山 金峯山寺(奈良県吉野山)の紹介


金峯山寺(金峯山修験本宗)総本山
住所:〒639-3115 奈良県吉野郡吉野町吉野山
公式サイト:https://www.kinpusen.or.jp/
備考:動画チャンネルでも情報を発信(公式サイトのメニューから動画館を選択)

吉野の金峯山寺には国宝に指定されている本堂である蔵王堂があり、本尊は役の行者が感得された金剛蔵王大権現(蔵王権現の正式名称、秘仏)です。こちらは明治政府の神仏分離令で一度は神社化しましたが、その後、1886年(明治19年)に「天台宗修験派」の寺院として復活。その後、独立し金峯山修験本宗となりました。

御山参りの古道を歴史遺産として整備と管理を行う

蔵王古道の会
宮城蔵王でエコーライン完成後使われなくなった信仰の道「蔵王古道」を復活し、維持している有志による団体。会員による御山参りなどのイベントや、古道を歩く方々のため、先達(せんだつ)とよばれるガイドさんの養成も。

「本会は、蔵王古道を歴史遺産として認識し、古道の整備と管理を行い、貴重な財産として未来に引き継ぐことを目的とする。また、御山詣りを開催し古道の周知を図り、合わせて会員の資質向上を目的とする。」(蔵王古道のホームページより)

蔵王古道の会 公式サイト

保昌寺にある奥州藤原氏ゆかりの丈六阿弥陀如来坐像を訪問した方のブログ〈外部サイト〉

とうほく見聞録 東北地方の歴史や寺社を紹介するブログ